聖パトリックの証言 - 生まれ変わった信者!

パトリックは 385 年にイギリスの現在のスコットランドのダンバートンの町で生まれました。パトリックは自伝『聖パトリックの告白』を次のような書き出しで始めています。

「私の名前はパトリックです。私は罪人で、素朴な田舎者で、すべての信者の中で最も小さい者です。私は多くの人から軽蔑されています。私の父はカルポルニウスでした。彼は助祭でした。彼の父は司祭のポティトゥスでした。 」

襲撃者に誘拐され、バナヴェム・タブルニアエに連れてこられるという困難と闘いを経て、パトリックは生まれ変わってイエス・キリストを信じる者になりました。

生まれ変わった信者とは、イエス・キリストを自分の主であり救い主として受け入れた人のことです。

新生した信者は、カルバリでのイエス・キリストの死と罪の復活に対する信仰に応えて、神の聖霊を与えられました。彼らはただ自分の心を信じて、「イエスは私のために死んでくださった」と告白します。

上で述べたように、パトリックは自分自身の告白の中で、自分が罪人であることを知っていましたが、同時に自分が罪から救われる可能性があることも発見しました。

パトリックはイエス・キリストへの信仰を次のように美しい表現で書きました。

「今日はキリストが私を守ってくださいます

傷害に対して

キリストが私と共にいて、キリストが私の前に、キリストが私の後ろに、

私の中のキリスト、私の下のキリスト、私の上のキリスト、

私の右にキリスト、私の左にキリスト、

私が横になるときもキリスト、座るときもキリスト、

私を想うすべての人の心の中にキリストがあり、

私のことを語るすべての人の口にキリストがあり、

私を見る目の中にキリストがあり、

私の声を聞いてくださる耳の中にキリストがいます。」

あなたや私と同じように、パトリックも、規模の大小に関わらず、正しいことをするか間違っていることを選択する能力を持って生まれました。

問題は、私たちは皆罪を犯しており、その罪が私たちを神から引き離しているということです。神の前では私たちの義さえも、汚いボロ布に等しいのです。どんなに小さな罪人でも神の国に入ることができません。

聖書には「すべての人は罪を犯し、神の栄光を受けられないからである」と書かれています。そのことを念頭に置くと、私たち自身の功績によっては、神の前で正しい立場を獲得し、死んだ後に天国に行って神とともにいることは明らかに不可能です。私たちが永遠に神と共にいることができるのは、天から来られ、罪を持たずに生まれ、その犠牲によって私たちの罪を取り除いてくださった完璧な神の御子イエス・キリストの奇跡によってのみです。

襲撃者に誘拐された後、パトリックは生き残る唯一の希望はイエス・キリストを信じることだと悟りました。

あなたは主イエス・キリストがあなたの救い主であることを知っていますか?彼は私たちのために罪とされるために人間の肉体を持って現された神でした。イエスが苦しみ、死なれたのは、あなたの罪がすべて清算され、内に宿る聖霊とともにあなたに新しい性質を与えるためでした。神はあなたの罪をすべて取り除いて、今日あなたとあなたの人生の中にとどまることができますし、そう望んでいます。

聖書には次のように書かれています。

「しかし、彼(神)が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、私たちは互いに交わりを持ち、御子イエス・キリストの血が私たちをすべての罪から清めてくださいます。」ヨハネ第一 1:7

あなたの罪を赦してもらいたいですか?神の御子イエス・キリストの無償の賜物を通してそれが可能です。

自分の罪深さを神に告白し、今日、イエス・キリストにあなたの救い主となってくださるよう願いましょう。イエス・キリストを通して救いという無料の賜物を受け取るために、一瞬たりとも失うことはありません。

「罪の代償は死ですが、神の賜物は私たちの主イエス・キリストによる永遠の命だからです。」ローマ人への手紙 6:23

主イエス・キリストを信じれば、あなたは来るべき裁きから救われ、永遠に神と共にいることができます。

そうすれば、きっとパトリックも大喜びするでしょう!

「同様に、あなたがたに言いますが、悔い改める一人の罪人に対して、神の天使たちの臨在には喜びがあるのです。」ルカ 15:10

- テッド・フラー